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2023年3月29日水曜日

航空巡洋艦 最上 1944年 フジミとタミヤをミキシングで製作

 航空巡洋艦最上、11月から作り出してようやく完成です。

1/700 航空巡洋艦最上のキットはフジミとタミヤから出ていますが、タミヤは2002年にリニューアルしたキットで、フジミは特シリーズで発売されたキットです。

しかし、どちらのキットも一長一短です。これとは別に重巡時代の最上がフジミから発売されていますが、なかなか良いキットのようでしたのでこちらをメインに作ってみたくなりました。


最上のキット3種を比較してみると


●タミヤ版

良好なプロポーションと組立易さを併せたキットです。2002年の発売なのでモールドや装備部品がややあっさり気味です。

セルター甲板は航空作業甲板と同じ鉄板滑り止め表現となっています。


●フジミ 航空巡洋艦状態

2012年発売のキット。セルター甲板の前半がリノリウムの表現になっています。しかし、航空作業甲板の機銃座の位置が左右オフセットなのが、左右対称になってしまっています。

上部構造物も上から圧縮されたようになっており、側面も船外電路のモールド無し、舷窓も大きめとなっています。


●フジミ 重巡状態

2019年発売のキット。今までの特シリーズよりさらに洗練されたキットです。

通風塔や双眼鏡なども別パーツ化され、全体のプロポーションも良好な良キットです。

船外電路も最上の特徴ある配列でモールドされています。

航空巡洋艦最上の小物部品ランナーも入っており、航空機用台車や航空作業甲板両舷の円形銃座なども含まれています。

最上、三隈が昭和17年、鈴谷、熊野が17年と19年版が、それに加え未完成艦の伊吹の重巡状態も発売されています。

こちらのキット基準で最上の航空巡洋艦をリニューアルしてくれたら良いのですが。


このような3つのキットの特徴から、タミヤのキットとフジミの重巡状態のキットをミキシングして製作してみました。


航空巡洋艦のタミヤとフジミのキットは両方とも1943年の状態でしたが、今回は機銃の増設された1944年時で製作してみました。


キットのベースは重巡状態のフジミのキットを使用します。

タミヤのキットからは航空作業甲板と後部の甲板、増設された機銃座や兵員待機所などを使用しました。


セルター甲板はタミヤは全面鉄板張りでしたが、後部艦橋より前はリノリウム張りのようでしたので、カットします。


航空作業甲板の下の甲板はタミヤのキットが支柱もモールドされていたので使用しました。

タミヤは船体の上に貼る構造、フジミは内側に埋め込む構造でしたので、タミヤのパーツとフジミの船体を削り込んで埋め込みました。

魚雷発射管付近の構造も違いましたので削って現物合わせに取り付けています。

この部分の合わせが今回一番大変でした。

後は、フジミのキットをベースに航空巡洋艦の艦橋周りや後部艦橋にタミヤのパーツを使いながら組み立てました。

艦橋両舷のカッターは最終時には増設機銃座に変えられて、カッターは後部艦橋横に移されています。フジミのキットではカッター取付用のダボ穴が開いていたので、機銃座と弾薬箱で塞いでおきました。そのため少し位置がずれています。

航空作業甲板の後端には3連装機銃座を大和の艦尾機銃座のエッチングパーツを加工して使用。艦尾の大きなアンテナはプラ棒で作っています。

艦載機は零式水上偵察機と零式水上観測機が搭載されていましたが、今回はピットロードの日本海軍機セット4から瑞雲を8機搭載してみました。


飛行甲板には14挺の単装機銃が増設されましたが、なかなか航空機と当たりそうな位置ですね。実際は13㎜単装機銃を装備していたようですが、25㎜単装機銃にしています。

電探は前マストに21号と22号、後部マストに13号を装備しています。


フジミの新しい最上型のキットは精悍な姿を再現でき良いですね。熊野と伊吹も積んでいますので製作していきたいです。


航空巡洋艦最上 1944年時 if瑞雲搭載状態

20㎝砲6門 12.7㎝高角砲8門 61㎝三連装魚雷発射管4基12門

25㎜3連装機銃14基、同単装18基 合計60門

瑞雲8機


→フジミ 駆逐艦 時雨 1944年 

→艦NEXT 戦艦長門 

→駆逐艦 藤波  ハセガワ 早波改造

→艦船模型記事一覧





2018年8月7日火曜日

タミヤ/イタレリ M24チャーフィー 陸上自衛隊仕様で製作

タミヤ/イタレリのM24チャーフィーを陸上自衛隊仕様にて製作しました。




こちらのキットは、昔から発売されていたイタレリ製のM24チャーフィーのキットにアルミ製砲身と連結履帯、アクセサリーパーツを加えて数年前に再販されたキットです。



タミヤのキット程作りやすくは無いですが、作りやすい部類のキットだと思います。



小柄な車体に、砲塔上の50口径機関銃が不釣り合いに載っています。



塗装はタミヤカラースプレーのオリーブドラブで塗装しています。



砲塔上の日の丸などのデカールはアスカモデルの「ノスタルジックデカール」からそれらしく貼っています。



履帯はゴム製ではなく、一部連結式となっています。



主砲には大戦中にB25の機首に装備された低反動の75ミリ砲を装備しています。
貫徹力はそこまで無いですが、軽戦車なのに高い火力を誇っています。



主砲は40口径75㎜砲、主砲同軸に7.62㎜機銃を装備、同じく車体にも7.62㎜機銃、砲塔上に12.7㎜機銃と軽戦車なのに重装備です。
装甲は車体前面が25㎜、砲塔前面は38㎜と軽戦車ゆえ薄いですが、傾斜装甲により被弾経始に優れていました。乗員5名で路上最高速度56㎞、不整地では40㎞の機動力がありました。
日本軍の3式中戦車が、38口径75㎜砲と7.7㎜機銃1門、車体砲塔前面装甲が50㎜、最高速度38㎞と比べると、米軍は軽戦車でこの性能とは羨ましいですね。



M24チャーフィーの実戦は1944年の末のバルジの戦いで初陣を飾りました。
大戦に参加した車両は少ないですが、独戦車を撃破したりと活躍しています。
大戦後も主力軽戦車として配備されていましたが、朝鮮戦争では北朝鮮側のT34-85にはさすがに太刀打ちできず、後継のM41軽戦車と交代となりました。

日本で警察予備隊が創設された時に、本車が供与され、陸上自衛隊の創成期にM4戦車とともに機甲戦力の一翼を担いました。

M4戦車は日本人には大柄で扱いにくかったよう(ペダルが届かずに下駄をはいて運転していたとか)ですが、M24は小柄な日本人にも扱いやすく好評だったようです。逆に米兵さんだと5人も車内に乗っていたら大変そうですね。

後継のM41軽戦車や61式戦車が配備されると、順次退役していき1974年に最後の車両が引退しました。現在も無可動で展示している駐屯地もあるようです。




→タミヤ M41軽戦車 陸上自衛隊仕様 製作 

→ドラゴン 1/35 日本陸軍 九五式軽戦車ハ号 後期型 製作 

→陸上自衛隊74式戦車 タミヤ1/35の製作

→ピットロード 87式偵察警戒車の製作




2017年9月22日金曜日

タミヤ 駆逐艦島風の製作④ 完成です。

タミヤの駆逐艦島風、完成しました(^^)/





最新のキットだけあって組み立てやすいキットでした。
前後のマストと旗竿をプラ棒で作り直した以外はキットのパーツで製作しています。
(パーツを無くした方位盤上の測距儀と22号電探は別に調達していますが)
リノリウム甲板にはデカールが用意されていましたが、今回は使わずに塗装を行っております。




 島風は高速化する米新戦艦群に対抗するため、速力を高めた次世代の駆逐艦として、④計画で試作艦として建造されました。島風は陽炎型駆逐艦天津風に試験的に搭載された高温高圧缶を装備し75000馬力の出力で40ノットの高速を発揮する事ができました。島風はそれに加え、甲型駆逐艦では魚雷8射線と予備魚雷に対し予備魚雷無しですが61㎝酸素魚雷を15射線と破格の雷撃能力を有していました。
続く⑤計画で同型艦を16隻量産する計画でしたが大戦に突入し、建造の手間のかかる丙型駆逐艦の建造はキャンセルされ、島風1隻のみとなりました。

島風は昭和18年5月に竣工し、第11水雷戦隊に編入され訓練に明け暮れます。アッツ島玉砕後、次はキスカ島が危なくなってきたので、キスカ島から守備隊の撤退作戦が計画されます。島風も竣工当初から装備していた22号電探をあてにされ撤退部隊に編入されました。木村少将率いる撤退部隊は5183名の陸海軍部隊の撤退を成功させました。

その後島風は第二水雷戦隊に編入され艦隊や船団の護衛任務に就きます。
トラックやパラオへの油槽船の護衛などに就きますが米潜の攻撃で油槽船や僚艦の駆逐艦を多数失うなど苦しい戦いが続きました。

いよいよ米軍が絶対国防圏に迫ってくる中、今度はビアク島へ米豪軍が上陸をし、ビアク島救援の渾作戦を行います。この作戦に島風も大和や武蔵らと編入されましたが今度は米軍のサイパン侵攻により渾作戦は中止し第一機動艦隊に合流しマリアナ沖海戦を戦います。続くレイテ沖海戦では第一遊撃部隊に所属しレイテ湾を目指すも直前で反転しレイテ突入にはなりませんでした。撤退中の米機動部隊の空襲により第二水雷戦隊の旗艦の能代が沈没し、その後島風が二水戦の旗艦となりました。

レイテ沖海戦敗退後もレイテ島を巡る地上戦は続き、生き残りの駆逐艦たちは増援輸送作戦「多号作戦」に参加します。島風は第三次の輸送隊として輸送船5隻を島風、若月、浜波、長波、朝霜、掃海艇30号で護衛してオルモック湾に向かいましたが、米機動部隊の艦載機347機に襲われ島風らは煙幕を張りながら迎撃するも輸送船団は全滅、島風自身も持ち前の高速で爆弾、魚雷を回避するも至近弾や機銃弾により多数の破孔により機関が浸水、航行不能になり沈没しました。他の護衛艦も朝霜を除いて全滅してしまいます。
島風は持ち前の高速力と雷撃力を発揮できないまま、最後は航空機の攻撃で狭い湾内での最期となりました。



島風はその高速故、艦橋にも遮風装置が取り付けられています。
キットでは艦橋と煙突が一体化でパーツ化されており組み立てもしやすいように配慮されています。マスト下部のトラスも表現されており、電探架台から上のみプラ棒で作り変えているのみとしております。22号電探はわずかに左舷にオフセットされているのが再現されています。



島風自慢の零式5連装魚雷発射管も精密なモールドで再現されています。
2・3番発射管の間の増設機銃座の形状は左右で違う形もきちんと再現されています。



主砲の12.7㎝連装砲D型は側面の補強桁もしっかりモールドされています。
砲身は中から通す方式ですので防水カバーの塗装もやりやすいです。



主砲と魚雷発射管にはポリキャップが内蔵されていますので旋回も自由にできます。
これでブンドドも楽しめます。



このタミヤのリニューアル版島風は、とても作りやすく設計されていますので、気軽に島風の雄姿を再現できます。
ただ、キットではマリアナ沖海戦後の状態でキット化されており単装機銃も取り付けガイド穴などが施されていますので竣工時の状態にするには少し手間がかかりそうです。

フルハル状態やキスカ撤退時を作られる場合は、少しお値段はしますがピットロードのキットがあります。最終時のWLモデルを作る場合ならタミヤのキット、単艦のフルハルで作りこんだり、各年代を作り分けるならピットロードと選んでみるのも良いかもです。


→タミヤ 駆逐艦島風の製作③ 塗装と艤装品の取り付け

→タミヤ 駆逐艦島風の製作② マスト等の製作

→タミヤ 駆逐艦島風の製作① 船体と基礎部品の製作

→タミヤ 駆逐艦 島風 キットレビュー










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2017年6月7日水曜日

鹵獲ホーネット改装 航空母艦 鳳鷹

数年前に「もし米空母ホーネットが日本海軍に鹵獲されていたら・・・」と架空設定で作っていたものです。



当時タミヤのホーネットが近所の模型屋さんで1200円のが売れ残っていたので(笑)
ピットロードのキットだとこんな冒険はできません。

史実の米空母ホーネットは南太平洋海戦で日本機動部隊の猛攻を受け多数の魚雷、爆弾が命中、航行不能になり、曳航作業が試みられるも断念されました。日本軍の第二艦隊が鹵獲を命じられるも、米駆逐艦が自沈処分のため5インチ砲を400発程と魚雷を打ち込んで猛火に包まれ、曳航不可能と判断され、駆逐艦巻雲、秋雲の雷撃で処分されました。
ちなみに駆逐艦巻雲は先のミッドウェー海戦においても大破炎上した空母飛龍も雷撃で自沈処分しており、2隻の空母へ魚雷を発射した駆逐艦という珍しい戦歴です。



あり得ない話ですが、もし航行不能後の攻撃隊の追い打ちが無かったら、第二艦隊がもっと早く前方に出ていたら、損傷のましな状態で鹵獲し、修理し日本海軍に編入された状態を作ってみました。



爆撃により損傷した木甲板を修理するため、内地では木材が不足していたので前後部とエレベーターの木甲板をはがして流用した・・・との設定にして前後部は鉄板貼りにしました。これだけでかなり日本空母っぽくなりました。
製作中に後部エレベーターを手で持ったら0.5ミリ程陥没してしまいました。もう裏から治すことはできないのでそのまま放置しています。



武装は28㎜機関砲の跡と大戦後半のエンタープライズの40㎜機関砲の配置を参考に銃座を取り付け、25㎜3連装機銃を載せました。20㎜単装機銃のところは、25㎜単装機銃が装備されたことにしています。
5インチ単装砲の跡は12㎝単装高角砲を乗せたかったのですが適当な部品が無かったので5インチ砲をそのままにしています。
艦橋上部のトライポッド上には21号電探、煙突後ろのマストには13号電探を。

高角砲用のMk.37 射撃指揮装置は研究のため、煙突後部のは撤去されトライポッド前の一基のみとなり、代わりに比較研究のため94式高射装置を載せてみました。
命中率を比べると・・どうなるでしょうね。



艦首に菊の御紋章をつけると立派な帝国海軍の軍艦になりました(^^)/
「本艦ヲ航空母艦鳳鷹(ほうよう)ト命名ス」



タミヤのホーネットの欠点は艦橋が超薄っぺらいので前から見てはだめですね~(笑)
このキットもエンタープライズを含め、決定版にリニューアルしてほしいですね。


出来上がってみるとその大きさからなかなかの存在感です。格納庫は1段なので日本軍の艦載機では搭載機50機程になってしまいそうです。
米軍だと翼の折りたたみ機構と天井から吊り下げたり露天駐機をするので多くの搭載機が載せれます。


この艦がマリアナ沖海戦に参加していたら・・・米軍の最重要攻撃目標になりそうですね(;^_^A






この鹵獲ホーネットを改装した空母鳳鷹を作ろうとしたきっかけが、歴史群像の「改造空母「遠鷹」戦記」という架空戦記を読んでみたからでした。

内容紹介は↓

日本軍監視艇のトラブルをきっかけに、東京空襲のため日本の哨戒圏の奥深く侵入した二隻の米空母のうち、ホーネットは炎上沈没、エンタープライズとハルゼーは拿捕される。そしてエンタープライズは建艦思想、装備、用法の違いを乗り越え、日本軍の特設航空母艦『遠鷹』として実戦に投入される。折しも、ミッドウェー、アリューシャン作戦が発動され、角田覚治提督は小型空母『龍驤』と特設空母『遠鷹』、『橿原丸』からなる第二機動部隊を率いてアリューシャンに向かう。一方、空母が足りない米軍は日本軍の作戦は察知したが、あえて陽動部隊に的を絞りアリューシャンに正規空母二隻を派遣、ここに日米機動部隊同士による死闘が始まる。


といった内容で、鹵獲されたエンタープライズが遠鷹と名前を変え、第二機動部隊に編入され米空母部隊と戦うといったお話です。一軍の第一機動部隊に比べて二軍の第二機動部隊が足りない戦力を工夫しながら戦っていきます。戦闘描写は派手と言うようり、けっこう地味な内容ですが、個人的には楽しめる内容でした。捕虜になったハルゼー提督や米軍将兵達の収容所での自活生活も良い味を出していました。これを見るとちょっぴりハルゼー提督が好きになりました。
続巻でソロモンでの第二機動部隊の活躍がありましたが、残念ながら三巻以降は発売されていません。地味な内容なので続かなかったのかな(^^;)



→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

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2017年4月24日月曜日

陸上自衛隊74式戦車 タミヤ1/35の製作

タミヤの1/35陸上自衛隊74式戦車です。




だいぶ前から発売されているこの74式戦車、今でもお手軽に組み立てれてなおかつ出来栄えも良いキットです。
昔は通常タイプで発売されていましたが、ある時から冬期装備という商品名でパーツ追加に変更され現在もその仕様で売られています。

冬期装備と書かれていますが、通常の2色迷彩でも製作は可能です。
私は関西に住んでいるので冬期仕様はなじみが無いのでこちらの2色迷彩で製作しています。



前に近所の自衛隊の駐屯地祭で伊丹駐屯地から74式戦車が来ていたので見学しました。
息子も初めて見た戦車に大興奮していました(^^)
これを見てさっそく74式戦車を購入して製作しました。



自衛隊の装甲車両はこの2色迷彩で塗装されています。塗料はクレオスから発売されている特色セット、「陸上自衛隊戦車色」を使用しています。



迷彩塗装の塗り分けは「油ねんど」を使って再現してみました。
まずは茶色を塗装してから、迷彩柄にねんどを付けていきます。

前に89式戦闘装甲車を作った時はユーチューブで紙粘土で迷彩塗装しているのをやっていたのを再現してみましたが、紙粘土は固まってしまうので取っ手などの小物部品も一緒に取れてしまいましたので固まらない油ねんどを使ってみました。



ねんどをつけた上から濃緑色で塗装しています。
この後、剥がしてお風呂でいらない歯ブラシでごしごしと中性洗剤で洗い落しました。
紙粘土でもけっこう洗い落とすのに苦労しましたので、どのみち洗わないといけないから油ねんどの方が楽でした。



細かい部分ではまだまだ課題はありますが、おおむねこの方法で満足です(^^)/
欠点は特色セットが高いのと品薄になりやすく入手しずらい事ですね~
ブログを書いてて気づきましたが、マフラーをつけ忘れてますね(^^;)



実車はもっとくすんだ色ですので、次はこの色合いを再現してみたいです。




角ばった形状の最新戦車達と違って丸みを帯びたスタイルもなんとも魅力的です。
砲塔の投光器も何とも言えない味があります。

74式戦車は90式戦車、10式戦車の登場で古い世代の戦車になりましたが、数の上ではまだまだ主力です。今後は同じ105㎜砲を装備している16式機動戦闘車に更新されていくんでしょうね。






→ピットロード 87式偵察警戒車の製作

→ファインモールド 四式中戦車 試作型を三色迷彩で製作

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2017年3月19日日曜日

重巡洋艦 熊野 1944年時を製作 タミヤ改造

重巡洋艦熊野の1944年時です。



このキットは5年ほど前に製作したものです。
タミヤの熊野は15.5センチ3連装砲を装備した軽巡洋艦時代のキットで、姉妹艦の鈴谷も開戦前の状態でのキットです。
大戦後半の状態ではどちらもキット化されていないので、一部航空巡洋艦最上のパーツを流用しながら製作しています。



主砲の20㎝連装砲やシールド付き12.7㎝高角砲はピットロードの武装パーツを使用しています。
重巡高雄型用に開発されたパーツ類ですので重巡洋艦用の各種偽装品がセットされています。



軽巡時代の熊野から大戦後半の熊野への改造点は、

・主砲を15.5㎝砲から20㎝砲に交換。
・艦橋トップに防空指揮所と遮風装置を増設。
・前マストに21号電探と22号電探を装備し、電探室を増設、ループアンテナの移設。
・艦橋前の機銃座を3連装機銃2基に改修。
・後マストに13号電探と基部に機銃座を増設。
・艦橋下と艦尾に機銃座を設置。甲板に単装機銃を設置。

などを施しました。



フジミの重巡洋艦と比べるとあっさりとした感じですが、組み立てはカッチリと合いやすく作りやすいキットです。
フジミさんも、航空巡洋艦の最上はキット化しましたが、この熊野と鈴谷はなかなか出してくれませんね。大戦後半仕様で出すとけっこう需要はあると思うのですが(^^)
利根と筑摩と第七戦隊も組ませてみたいですね~



熊野は最上型軽巡洋艦の4番艦として建造されました。最上と三隈が排水量を抑えて建造され、船体強度などに無理が生じたので、改設計され鈴谷とともに鈴谷型とも呼ばれます。ボイラーも最上の10基から新式のボイラーに変更され8基とコンパクトになり吸気口なども改正されています。

最上型は揃って第七戦隊を編成し、その中でも一番新しい熊野は旗艦を務めることになります。
4艦は軍縮条約脱退後、揃って主砲を20㎝砲に換装し重巡洋艦として生まれ変わりました。
開戦時は第七戦隊は栗田少将の指揮の元、南方作戦に進出、バタビア沖海戦でも消極的な指揮で、第二小隊の最上と三隈のみが敵と戦っています。続いてベンガル湾の通商破壊作戦に参加し、多数の敵商船を撃沈しています。

ミッドウェー海戦では主力4空母が沈没後、ミッドウェー島の砲撃を命じられますが、突然の敵潜水艦発見の報で回避運動をとると、最上と三隈が衝突してしまい、最上は艦首を損傷して速力が低下してしまいます。すると栗田少将は三隈と朝潮、荒潮に援護を任せ、自身は熊野と鈴谷を率いて退避してしまいます。その後残された最上たちは米軍機の追撃を受け、三隈が沈没、最上と朝潮、荒潮は損傷を受けてしまいました。

三隈が沈没し、最上が大破し、航空巡洋艦へ改装される事になり第七戦隊は熊野と鈴谷の2隻だけとなります。第七戦隊の司令官は西村祥治少将に代わり、インド洋での通商破壊作戦に加わるべくメルギーに進出しましたが米軍のガダルカナル上陸を受けて、作戦は中止、空母部隊の第三艦隊に加わり、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などに参加しています。

ガダルカナル撤退後もソロモンでの戦いは続き、コロンバンガラ島への輸送作戦に参加中、米軍機の雷撃を受け損傷しています。修理後はカビエンへの輸送任務に就いています。

昭和19年になると、第八戦隊の利根と筑摩が第七戦隊に編入され久しぶりの4隻編成となりました。司令官も白石少将が着任し、この編成でマリマナ沖海戦にも参加します。

レイテ沖海戦には第二部隊として金剛、榛名らとレイテ目指して進撃します。シブヤン海の空襲では被害は軽微でしたが、サマール沖で米護衛空母部隊と遭遇し追撃戦に入っている中、護衛空母機や駆逐艦の決死の反撃を受け、熊野は駆逐艦の雷撃により艦首失い単艦で退避し途中艦載機の攻撃を受けつつもコロン湾経由でマニラまでたどり着きました。

11月5日、同じように米潜の雷撃により損傷し速力の出せない青葉と商船5隻は海防艦と駆潜艇に護衛されて台湾の高雄を目指し出港しましたが、米潜のウルフパックにつかまり必死の回避運動をするも、魚雷2本が命中し、航行不能になり、2D型貨物船の道了丸に曳航してもらいなんとかサンタクルーズ港に到着しました。ここで応急修理と機関用の真水の補給を川からドラム缶で運ぶなど、本土への帰還を目指して懸命の作業が続けられましたが、11月25日、ついに米艦載機の空襲を受け魚雷5本、爆弾4発を受け、沈没してしまいました。




タミヤ 1/700 ウォーターラインシリーズ No.344 日本海軍 軽巡洋艦 熊野 プラモデル 31344



→ハセガワ 重巡洋艦 青葉 製作

→駆逐艦 浦波 1944年時 製作 ヤマシタホビー+ピットロード

→フジミ 戦艦比叡 1944年時IF改装 製作

→ピットロード 給糧艦伊良湖 最終時の製作

→フジミの駆逐艦秋月を1944年時で製作

→ファインモールド 四式中戦車 試作型を三色迷彩で製作









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