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2023年3月1日水曜日

駆逐艦 藤波  ハセガワ 早波改造

 夕雲型駆逐艦の藤波です。

ハセガワの早波を改造して製作しました。


藤波は夕雲型駆逐艦の11番艦として藤永田造船所で1943年7月31日に竣工しました。

訓練後、第二水雷戦隊第32駆逐隊に編入され輸送任務や船団護衛に就いています。

1944年にはマリアナ沖海戦、レイテ沖海戦に参加しています。

レイテ沖海戦では、サマール島沖にて米護衛空母部隊を追撃中、行動不能に陥った重巡洋艦鳥海の乗員を救助後雷撃処分の後、退避を行いましたが米空母艦載機に撃沈されてしまいました。

ハセガワのリニューアル版夕雲型は組みやすく旧キットではいまいち似ていなかった夕雲型の端正な艦容を再現した良キットです。

前期型の夕雲、中期型の早波、後期型の秋霜、朝霜が発売されています。

早波のキットを使用すれば、夕雲型中期型の前マストを電探搭載にされた姿を再現できます。

早波から藤波に改造するにあたって、艦尾の爆雷投下台のパーツを投下軌道のパーツに変更、艦尾のパラベーンは撤去しています。

藤波の単装機銃は、ピットロードから発売されていた藤波の説明書に、単装機銃の装備位置が書かれていたのでこちらの配置にしてみました。

艦尾の爆雷投射機の周りに4挺、後部マスト右舷に1挺、艦橋前機銃座の左右に2挺、合計7挺の単装機銃が装備されていたようです。

後部マストはプラ棒で作り直し、13号電探も装備しています。

前部マストトップもプラ棒で作り直し、単装機銃も装備しています。

ハセガワの夕雲型は作りやすく、価格も手ごろなので数を揃えて大戦後半の水雷戦隊を再現してみたくなります。


→艦船模型記事一覧





[商品価格に関しましては、リンクが作成された時点と現時点で情報が変更されている場合がございます。]

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2017年12月7日木曜日

航空自衛隊 F2A戦闘機 の製作

ハセガワの1/72、航空自衛隊F2A戦闘機です。




昨年、シンゴジラを映画館で見て、ゴジラさんの頭にJDAMを落とす活躍を見て、さっそく購入したものの、機体本体を作っただけで一年以上放置してしまっていました。

先月、地上波でシンゴジラが放映されて息子がえらいF2戦闘機を気に入ったようでしたので、製作を再開してみました(^^)/

ハセガワのF2戦闘機のキットは単座型のA型と訓練用の複座型のB型を選べるコンパチキットです。今回は単座型のA型で製作しています。





放置していた本体にキャノピーを取り付け、機首のレドームグレー、脚の収納箇所やインテークのホワイトを塗装後、マスキングを行いました。



F2戦闘機には特徴的なブルー系の洋上迷彩を施されています。
クレオスから特色セットで、この洋上迷彩色が売られています。
このセットは機体本体色のシャロ―オーシャンブルー、迷彩の濃い色のディープオーシャンブルー、機種のレドームグレーの3本セットになっています。

クレオスの特色セットは良い色あいのカラーを出してくれるのは良いですが、3色セットだと使用頻度に差が出て、足りない色と余る色が出てきます(^^;)

このF2戦闘機でも使用量がシャロ―オーシャンブルーが10とすれば、ディープオーシャンブルーが4ぐらい、レドームグレーが1ぐらいになりそうです。

そこで、ちょっとシャローオーシャンブルーが明るい感じがしたので、ちょっとでも本体色を増やすためにディープオーシャンブルーを混ぜてみました。

上の写真の左が10%、右が20%混ぜています。
20%だとちょっと濃いので10%にしてみると、自分の好みの感じになりました。
特色セットは2箱購入していましたので、これでシャローオーシャンブルーが10㎖×10%ですので22㎖用意できました。

本体+増槽とミサイルを塗装しないといけないので、足りるか不安でしたが、2セット分で充分足りてくれました(^^)v


本体と増槽とミサイルにシャロ―オーシャンブルーを塗装しました。
薄いブルー単色だと不思議な感じです。

次は洋上迷彩のディープオーシャンブルーのまだら模様を塗装していきます。
F2戦闘機の製作で一番大変そうな工程です。

まず、説明書の塗装図が側面55%、上面裏面が50%の縮尺で描かれています。
それをキットの原寸大にするには側面を1.81倍、上面裏面を2倍に拡大コピーにしていきます。家庭用のコピー機能の付いているプリンターでも何とかA4用紙で収まりましたので、コピー印刷しました。


印刷した原寸大の図を各部位ごとに切り離して、デザインナイフで迷彩のところをくり抜いていきます。


それから、切り抜いたところに合わせて、両面テープをこよりの様に細丸めてつけていきます。これでちょっと台紙と本体にちょっと隙間ができるので、迷彩の輪郭がぼんやりかすんでくれるのを期待します。


全体に切り分けた台紙を貼りつけていきました。かなり骨の折れる作業でしたが、なんとか全部貼り終えました。それから、機体下面なども隙間ができないようにしっかりマスキングしています。



ディープオーシャンブルーも塗り終えました。


マスキングを剥がすと、こんな感じにできました(^^)vようやくF2っぽくなってきました。若干はみ出ていた部分もあったのでリタッチしています。


機種のレドームのマスキングも剥がして、エンジン部のノズルや細かいセンサー類の部分塗装を行い、フラットブラックで薄くウオッシングも行ってみました。


ここから仕上げに入ります。

まずは車輪や収納カバーなどを取り付けました。

続いて、デカールを貼っていきました。デカールは飛行機模型は量が多いですね~(^^;)
艦船や戦車はそんなに多くは貼らないので、デカール貼りだけで大変でした。
特に機体の白線もまっすぐ揃えるのが難しかったです。

デカールが貼れたら、増槽、ミサイルを搭載し、全体を好みでクレオスのスーパークリアーつや消しでトップコートを行いました。

残ったキャノピー部分のマスキングを剥がして完成です。



このキットには増槽が3つと、対艦ミサイルASM‐2が4発と対空ミサイルAAM‐3が2発付属しています。ASM‐2はフィンが8枚ずつ別パーツとなっていて4発分組み立てるのはなかなかめんどくさいですが(笑)

10数年ぶりに飛行機の模型を作りましたので、いつもの艦船などと勝手が違って製作に時間がかかってしまいました(;^_^A
仕上がりは、説明書どうりに作っただけですが、久しぶりにしては満足の出来です。

各アングルから写真を撮ってみました。




















やっぱり、ブルーの洋上迷彩はかっこいいです!これだけでご飯三杯食べられそうです!
息子も「F2、めっちゃカッコいいわ~」と気に入った模様です。
4発も搭載できる対艦ミサイルも頼もしいです。

今回はキット+特色セット洋上迷彩色を2セットとつや消しスーパークリアーを2本使用して完成です。

F2戦闘機は「平成の零戦」「バイパーゼロ」とかとも呼ばれているので、零戦も作って並べてみたいです(^^)v



おまけ。 シンゴジラさんへ攻撃開始です(^^)/














2017年10月13日金曜日

ハセガワ 夕雲型駆逐艦早波の製作③ 完成です。

ハセガワの夕雲型駆逐艦早波、ようやく完成しました。



今年にリニューアルされたばかりのキットです。第一弾の夕雲が昭和16年就役時に対し、早波は中期建造艦として昭和18年の就役時と昭和19年の対空機銃増備状態を選べるキットとなっています。

キットは最新のキットだけあって、夕雲型の特徴的な艦橋や末広がりの艦尾形状も再現され甲板や船舷のモールドもしっかりと入っています。マストも取り付け易いように2パーツの部品で再現されています。主砲も横面の補強フレームのモールドも入っており良い感じです。



駆逐艦早波は夕雲型駆逐艦の12番艦として舞鶴工廠にて昭和18年7月に竣工しています。
就役訓練後は第32駆逐隊に編入され、第二水雷戦隊に所属しました。
就役後、護衛任務などに就き、昭和18年11月にはブーゲンビル島に上陸してきた連合軍を迎え撃つため、重巡部隊らとラバウルへ進出しますが、入港後、米機動部隊の艦載機の攻撃を受け、重巡部隊は大損害を受け撤退します。残った二水戦と三水戦はブーゲンビル島への逆上陸部隊を揚陸しますが、再び米機動部隊にラバウルを空襲され、駆逐艦涼波が沈没し、軽巡阿賀野が航行不能になるなどの損害を受けトラックまで撤退します。
その後米軍のギルバート諸島への侵攻時に、マーシャル諸島への輸送作戦に参加。
ギルバート諸島陥落後はトラック、南方間のタンカーなどの護衛任務に就きました。

米軍の絶対国防圏への侵攻に対し日本軍も第一機動艦隊を編成し対抗することになります。フィリピン南西部のタウイタウイ泊地に艦隊は進出しますが、空母の航空隊は泊地内では訓練できず外洋にでなければいけませんが、米潜水艦が跳梁し思うままに訓練ができませんでした。近海では補給艦艇も攻撃を受けていたので駆逐艦による対潜掃討が行われます。昭和19年6月7日早波は前日に行方不明になった水無月の捜索と掃討に出撃し、米潜ハーダーを発見後、攻撃に移りますが、ハーダーは早波を引きつけ、正面に魚雷3本を発射し、早波は艦首に2本が命中し轟沈されてしまいました。

米潜水艦ハーダーは4月には雷を沈め水無月、早波を撃沈した後には谷風も撃沈しています。ハーダーが連続で駆逐艦を沈めたため、日本側にタウイタウイ泊地が多数の米潜の包囲下にあると思わせ、航空隊の訓練も行えず、後のマリアナ沖海戦の大敗にも繋がる事となりました。
その後もハーダーは対潜掃討を行う海防艦日振、佐渡、松輪の3隻を沈めたりと暴れまわります。
油槽船仁洋丸を護衛中の駆逐艦朝風を沈め、残る仁洋丸も沈めようとしますが、海防艦22号と哨戒艇102号が駆け付け、哨戒艇102号が仁洋丸を護衛、海防艦22号がハーダーに爆雷攻撃を開始、爆雷が多数命中し、遂に多数の艦艇を沈めたハーダーを撃沈しました。



早波はあ号作戦前に沈みましたので、電探は前マストの22号のみとなります。13号電探はあ号作戦後に随時装備されていきました。

学研の特型駆逐艦の駆逐艦響と電の項に19年4月に訓令工事で駆逐艦に25㎜単装機銃2基増備との記載がありましたので、艦橋前に2基装備させてみました。単装機銃もあ号作戦後には訓令でさらに増強がされていくようです。



艦尾のパーツは爆雷投下台と投下軌道にパーツが入っていまして、何気なしに投下軌道のパーツを付けていましたが、説明書には不要部品と書かれていました。この時期にまだ投下台のままだったんですかね?パラべーンもまだ装備されているのか不明ですが、キットのパーツは出来が良いのでそのままつけてみました。



電探、機銃が増備されていますが、レイテ沖海戦時に比べるとまだまだあっさりとしています。主砲は対空射撃も可能なD型でしたので、3基搭載されたままで代わりに1番煙突後部に機銃座を増設されています。



このキット、部品分割も良く考えられて作り易いキットですが、完成後、魚雷や爆雷用のダビットが入っていないのに気が付きました。ここまで部品が再現されているのにちょっと惜しいです。今回はそのままにしていますが、自作か他のキットやファインモールドのナノドレッドから調達する必要があります。



先日製作した同じ第二水雷戦隊に所属する島風と能代と並べてみました。



どの艦も大戦中に就役した新鋭艦ばかりですが、大戦末期の圧倒的な戦力差で本来の能力が発揮できなかったのが残念です。


→ハセガワ 夕雲型駆逐艦 早波 キットレビュー

→ハセガワ 夕雲型駆逐艦早波の製作① 船体の反り矯正と艦橋等の製作

→ハセガワ 夕雲型駆逐艦早波の製作② 塗装とマスト等の製作




→第102号哨戒艇 フライホーク USSワード改造

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2017年2月20日月曜日

戦艦日向 戦艦状態IF改装1944年 フジミ+ハセガワで製作

もうすぐフジミの特シリーズで戦艦時代の伊勢が発売されますね。

こちらは数年前にフジミとハセガワのキットを二個イチにして日向を製作してみた物です。



当時は戦艦時代の伊勢型はハセガワのキットしか無く、フジミからは航空戦艦時代のキットのみ出ていました。

このキットは「もし戦艦日向が航空戦艦に改装されずに戦艦のまま運用されていて、対空兵装を増強していたら・・」の状態で製作しています。

日向は扶桑型戦艦の改良型である伊勢型戦艦の2番艦として三菱長崎造船所で大正7年に就役しました。軍縮条約で八八艦隊の高速戦艦群が建造中止になってしまった結果、長門型につぐ主力戦艦として数度の改装を重ねられました。

太平洋戦争開戦時は伊勢、扶桑、山城とともに第一艦隊第二戦隊を編成していました。昭和17年
5月に訓練中、五番砲塔の爆発事故により損傷を受けます。この時の爆発事故の映像は、偶然ニュース映画に収録されています。当時の検閲は何を見ていたんでしょうね(;^_^A

5番砲塔の後に応急処置で25ミリ3連装機銃を4基搭載してミッドウエイ海戦に出撃します。
しかし機動部隊の主力4空母が撃沈され、作戦は失敗に終わり、戦艦部隊も何も会敵しないまま撤退しました。

主力空母4隻の損失に大慌てになった海軍は、保有艦艇の空母化を多数検討します。開戦以来出番のなかった戦艦の中でも、空母に随伴して活躍している金剛型は対象外、大和型につぐ40㎝砲搭載の長門型も除外、低速で36㎝砲搭載の伊勢型、扶桑型が検討されました。なかでも伊勢型は日向が事故で五番砲塔を失っているので、この2隻が改造される事になりました。

しかし全通甲板の空母に改装するとなると上部構造物の撤去を含め、工事期間がかかりすぎてしまいます。そこで、艦後半部に航空施設を設け、発艦のみとし、収容は他の空母に任せる航空戦艦として改装される事になりました。この改装は18改装と呼ばれ建造中止になった大和型戦艦4番艦の資材を利用して昭和18年11月に改装工事が完了しました。

6基12門あった主砲は4基8門に、副砲は全門撤去されましたが、代わりに12.7㎝高角砲は4基8門から8基16門に倍増し機銃も3連装機銃を多数搭載、航空機も22機搭載できるようになりました。
伊勢と日向の搭載航空隊は第634航空隊の瑞雲と彗星を予定していましたが、訓練中に起きた台湾沖航空戦に航空隊は投入されてしまい、レイテ沖海戦には搭載機無しで出撃することになりました。

レイテ沖海戦では米機動部隊を北方へ誘い出し、栗田艦隊のレイテ突入を援護する囮部隊として小沢機動部隊の一員として参加しました。空母瑞鶴ら4空母も搭載する航空機は定数の半分以下でした。日向と伊勢は搭載機は無いものの、持ち前の強力な対空火器で空母を護衛することになります。10月25日、小沢部隊は米機動部隊の大規模な空襲を受けます。攻撃を受けながらハルゼーの米機動部隊に主力機動部隊と思い込ませ、北方へ誘い出すことに成功します。しかし猛攻撃により歴戦の空母瑞鶴をはじめ瑞鳳、千歳、千代田の4空母は撃沈されてしまいます。残った航空戦艦も仕留めようと日向と伊勢に攻撃は集中していきますが、両艦とも巧みな操艦により全弾回避、逆に多数の敵機を返り討ちにする戦果を挙げています。

レイテ沖海戦敗退後、シンガポールに進出していましたが、昭和20年に入るといよいよフィリピン全土も失陥目前で南方航路も途絶してしまいそうになります。そこで残存艦艇に詰めるだけ戦略物資を積み込み本土に帰還する北号作戦が行われます。
制海権、制空権の無い中、危険な作戦で成功は危ぶまれましたが2月10日、旗艦日向と伊勢、軽巡大淀、駆逐艦朝霜、霞、初霜の6隻で内地へ向け出港しました。

途中、合計26隻もの米潜のウルフパックやB24数十機の襲撃に見舞われましたが、スコールに逃げ込んだり、巧みな操艦で回避したり、時には主砲の射撃で撃退したりとし、2月20日、全艦無事に呉に到着できました。

しかし本土に帰りつけても、もはや動かせる燃料も無く、特殊警備艦に指定され呉軍港で浮き砲台となります。7月24日、米機動部隊の大空襲により多数の命中弾を受け大破着底し終戦を迎えました。



せっかく航空戦艦に改装されたものの、肝心の航空機を実戦で1機も敵に向けて発艦することが叶わなかった日向ですが、改装されて向上した防空力と搭載力で別のところで活躍できました。

以前に製作した日向は、もし航空戦艦に改装されずに、大戦末期に対空兵装を増強していたら・・という姿で製作しています。

フジミとハセガワのキットを2個イチとフジミ航空戦艦伊勢用のエッチングを用いています。

船体はハセガワの日向を用いています。艦橋や煙突の基部だけ部品を削り取り、フジミのパーツをそのまま移植しています。

艦橋と煙突周囲はフジミの航空戦艦そのままで組み立てています。



甲板と艦橋周りの木甲板がメーカーの表現の差がありますが、そこまで目立たないです。

副砲は片舷4門ずつに減らしています。7、8番高角砲は航空戦艦では一段低く穴が開いていますが、戦艦時代のキットだと開いていないのでハセガワのキットの3、4番高角砲座がブラスト除けもついているので使用しています。

ただでさえ3、4番主砲を背負い式に装備して、艦内容積が少なくて居住性の悪かったのが高角砲増設でさらに悪化してそうです(;^_^A



後部艦橋はハセガワのキットを使用し、後マストと機銃座はフジミのキットを使用しています。
後マストのクロスツリーはエッチングパーツです。

6基ある主砲のうち、4基はフジミの伊勢のを、残る2基は雰囲気を合わせるためジャンクにあったフジミの金剛の主砲を使用しています。

以前に製作していた、この日向、棚から出して、破損個所をリフォームしてみました。対空兵装を増強した戦艦状態の日向、なかなかカッコいいです。日本海軍の戦艦の基準だと高角砲も増設しても6基まで(金剛型や長門レイテ沖後)ですが、エンガノ岬沖海戦の勇戦を讃えて8基装備してみました。今度発売される戦艦時代の伊勢を、レイテの長門に準じた対空兵装で製作して並べてみたいです(^^)/ それに山城と扶桑を並べたら・・・ご飯3杯は食べられそうです(^^)

戦艦日向 1944年10月

基準排水量36500t 公試排水量41000t 速力25ノット
36㎝砲12門 14㎝砲8門 12.7㎝高角砲16門 25㎜機銃78挺





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2017年1月31日火曜日

ハセガワ 重巡洋艦 青葉 製作

「ワレアオバ、ワレアオバ」 ハセガワの重巡洋艦青葉です。



青葉は古鷹型に続いて建造された重巡洋艦です。ソロモンの狼と呼ばれた青葉は第6戦隊の僚艦、加古、古鷹、衣笠が相次いで沈んでいく中、何度も損傷を受けながら終戦時も呉で大破擱座状態でしたが終戦を迎えられた歴戦の艦です。

「この世界の片隅に」で主人公のすずさんの幼馴染が乗艦していた艦で、知名度も上がったようです。



船体が前から後ろへ緩やかな傾斜を帯び、2本の煙突と主砲を3基備えた優美な艦姿です。

ハセガワの青葉のキットはウォーターラインシリーズの重巡洋艦のリニューアルの中でも最後の方でしたので、その分、組み立てやすく精密なキットとなっております。欠点は購買意欲をそそらないビミョーな箱絵でしたが、その後新しい絵に改正されています。

加古、古鷹、衣笠が開戦時~戦没時の昭和17年の姿でキット化されていますが、青葉は戦争後半の対空兵装が増強された姿でキット化されています。



青葉型のC型砲塔も側面にモールドが入っております。
船外電路はモールドされていないのでプラ棒で再現しております。
大戦後半は舷窓も閉鎖されていたので打ち抜きポンチ1ミリ径でプラ板を打ち抜いて貼り付けています。



前マストも1本マストから電探装備のため3脚マストに変更され電探室も作られています。
キットではなぜかトップヤードが無い仕様になっています。プラ棒で作っています。



阿賀野型軽巡のように航空作業甲板の4隅に3連装機銃が増設されています。
12センチ単装高角砲とむき出しの魚雷次発装填装置が素敵です。




艦尾にも増設機銃座が設けられています。



妙高型や高雄型に比べて小ぶりで地味ですが、精悍でかっこいいです。
特に艦首から見ると、後方へ少しずつ傾斜して下がっている船体はなかなか迫力があります。



小型で艦の構造もシンプルで製作も作りやすい良いキットです(^_-)-☆




青葉は古鷹、加古、衣笠と第6戦隊を編成し、グアム攻略作戦、第二次ウエーク攻略作戦、珊瑚海海戦などに参加しました。

米軍がガダルカナルに奇襲上陸をかけて来た17年8月、青葉らは三川軍一中将の指揮のもと、米豪艦隊を強襲し重巡4隻撃沈、重巡1隻駆逐艦2隻撃破等の大戦果を挙げますが翌日の空襲を恐れ輸送船団は見逃してしまいます。帰路の途中、加古が米潜の雷撃により撃沈されてしまい完勝とはなりませんでした。

残った第6戦隊はその後もガダルカナルへ増援輸送を行うための輸送作戦の支援に出撃します。この時サボ島沖で発見した艦を味方の輸送隊と思い込み、「ワレアオバ」と信号を送ってしまいます。この時の相手が米軍の巡洋艦部隊で青葉は米艦の攻撃により艦橋や3番砲塔などに命中弾を受け、一瞬にして戦闘力を損失し、戦場を離脱します。奇襲を受けた味方は不利な体勢ながらも反撃し駆逐艦1隻を撃沈したものの古鷹と吹雪が撃沈されてしまいます。

大損害を受けた青葉はトラックで応急修理後、内地で修理を受けます。その間に起こった第三次ソロモン海戦で衣笠も航空攻撃により撃沈され、第6戦隊は青葉のみとなり解隊となってしまいました。

修理の終わった青葉は再びソロモン、ニューギニアの戦線に戻ります。しかし、18年4月、空襲を受けまたもや大破してしまいます。決死の応急処置によりなんとか内地へ生還することができました。この時の損傷で機関も損傷を受けて、修理後でも28ノットしか出なくなってしまいます。
速力が出なくなってしまったので、第一線の艦隊任務には就けなくなり、東南アジア方面の第一南遣艦隊第16戦隊に配属されシンガポールを中心に輸送任務に就きました。その間にインド洋での通商破壊作戦にも参加しています。

6月には米軍のビアク侵攻を迎撃する渾作戦の主隊として参加、その最中マリアナ方面への大規模な侵攻を受け渾作戦は中止となります。
米軍のレイテ侵攻の際には当初、第16戦隊の鬼怒と浦波とともに、第一遊撃部隊に所属していましたが、出撃直前に輸送任務を与えられ、オルモックへの第一次輸送作戦に参加します。しかしルソン島西方で米潜の雷撃を受け三度目の大破、鬼怒の曳航によりマニラ港へ逃れました。応急修理後、5ノットしか速力を出せませんでしたが、同じような状態の重巡熊野らとマニラを脱出、内地に向かいますが、またもや米潜の襲撃を受けます。青葉は奇跡的に回避できましたが、熊野は魚雷を受け航行不能、サンタクルーズ港で応急修理中に米機動部隊艦載機の攻撃を受け撃沈されてしまい、両艦の明暗を分けました。

辛くも内地にたどり着いた青葉ですが、当時の日本にはここまで損傷を受けた重巡を修理することはできませんでした。青葉は予備艦となり呉で防空砲台となります。昭和20年7月に度重なる空襲を受け、多数の爆弾が命中し艦尾も切断され、ついに歴戦の重巡青葉も大破着底し、終戦を迎え戦後解体されました。


        


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